第2日 〜2009.7.22(水)〜

富来駅→狼煙

8.富来駅9:40→10:45門前(北鉄能登バス)1010円 石川200か・100 日野
富来駅の北鉄能登バス 富来ステーションストア  今日は旅館でゆっくり朝食をとってから出発。かつては『富来駅』の看板を掲げていた建物は、その看板の跡だけをアルミサッシの上に残していた。レンタサイクルや乗車券発売所の文字はそのまま残っており、中に入るとおじさんが早々に店じまいなのかお店の鍵を閉めようとしていた。「乗車券はもってるかい」と声をかけてくれるが、あいにく回数券を持っているので「あります」と答える
 富来からは、海岸沿いの県道を行く外浦線のバスに乗っていく。このバスは旧道経由で、富来の街中の狭隘路を走っていく。富来高校前を過ぎてしばらく行くと国道を渡る。その先の中浜バス停から、地元の方が2人乗ってきた。
 左手に海が見えてくる。海沿いの断崖の上を走る区間もあれば、海がちらりと見える高台の1本道を走るところもある。対向車はほとんどなく、観光地でもないのだろう。かつてはヤセの断崖とか関野鼻などの景勝地があったのだが、2007年の能登半島地震でいたるところが崩落してしまったのだとか。ヤセの断崖は海に突き出していた岩が崩落してしまったし、関野鼻はレストハウスが崩壊して、立入そのものが出来なくなってしまった。
 バスが関野バス停を通過する。左手には、アスファルトが割れて草がだいぶ目立ってきた広い駐車場があった。入口は柵でしっかりと閉鎖されている。かつてはこの先にレストハウスがあり、岬の先端まで行けたのだそうだ。
 乗客が少ないからか、唯一の観光客にところどころ徐行しながら景色の解説をしてくれた。
狭隘路を行く
9.門前11:00→11:35輪島駅前(北鉄奥能登バス)740円 石川200か・285 日野
門前の北鉄奥能登バス 日食  今日は日食。鹿児島の喜界島とかでないと皆既日食にはならないが、本州全体で部分日食は見えるという。その時刻が11時前後。ちょうど頃合いと、曇った空を眺めると、薄曇りの雲を通して、少し欠けた太陽を見ることが出来た。
 門前から先は海岸沿いの道路が断線している。バスは内陸部の249号線を行く。バスは先ほどと同じリエッセながら、幕式トップドアからLED式の前中ドアに進化した。
 発車前に、学校帰りの女子高生が数人乗ってきたので「ちょうど日食が見えるよ」と教えてあげると、いったん降りて「ほんとだ欠けてる〜」と盛り上がっていた。途中に1km以上もある中屋トンネルがあったほかは、ゆるやかな谷間を行くのどかな路線だった。
10.輪島駅前12:00→12:28(自由乗降)椀貸し谷ポケットパーク(北鉄奥能登バス)570円 石川22き・878 日野
輪島駅前の北陸奥能登バス 道の駅になった輪島駅  今はバスターミナルになっている輪島駅前バス停。2001年3月末で廃止になったのと鉄道の輪島駅があったところだ。かつて駅舎だったところは、道の駅の建物になっており、建物の裏にはごく短いホームと線路が残されていた。その裏には、大きな輪島市文化会館が建っていた。
 海岸沿いの道路は断線しているものの、道路の通じている区間には、門前から皆月線、輪島から西保線という2つのローカル路線バスが走っている。せっかく能登半島まで来たのだし、その2つのうち間垣の集落がある西保線に乗りに行ってこよう。
 大規模な間垣があるのは、大沢か西大沢。ネットで検索してみると、ある方のブログに高台から大沢の集落を写した写真があった。集落全体が間垣に守られている風景が印象的で、あの風景を自分の目で見てみたいと思った。地図で調べると、大沢の手前のつづら折りの坂道から撮ったようだ。
 西保線は自由乗降が出来るので、乗車してすぐに「大沢の手前の集落の見える坂道の途中で降ろしてもらいたいのだけれども」と言うと頷いてくれた。
 老人や中学生など、ほぼ満員の乗客を乗せて輪島駅前を発車した。市街地を抜けると、海が見えてきた。袖ヶ浜という砂浜で海水浴場になっている。監視員の人影はあるものの、泳いでいる人は誰もいなかった。その海の向こうに島がいくつか見える。帰りのバスで運転士さんにたずねたところ「七ツ島」とのこと。輪島と舳倉島の中間にある岩礁の島だ。「これだけはっきり見えるのは珍しい」とのことだった。
七ツ島
見学 椀貸し谷ポケットパークから間垣のある大沢の集落を望む
ポケットパークから眺めた大沢集落
乗ってきたバスが大沢のバス停を発車していく
ポケットパーク
車2台ほどの駐車場がある椀貸し谷ポケットパーク
上大沢方面を望む
大沢の集落を抜け断崖の向こうにある西大沢へ向かうバス
徒歩 椀貸し谷ポケットパーク→大沢バス停(約700m)
大沢集落のパノラマ
大沢のメインロード 大沢バス停  途中の西保小学校前で下校の小学生が乗車し満員になったバスが坂道の途中で止まる。人家もないところで停まったから、みんな不審に思っている。そんな中を降りていくのは、ちょっと恥ずかしかった。
 さて、どこからなら大沢の集落が見えるのだろう。少し坂を下ったところに『椀貸し谷ポケットパーク』という小さな駐車場があり、そこから大沢の集落を眺めることができた。しかも、今乗ってきたバスがまだ走っているではないか。あわてて数枚シャッターを切った。
 間垣とは、冬の日本海からの強風(潮風)や夏の強い西日から家を守るための、竹で作った垣根のこと。能登半島の外浦地区には点在しているのだが、大沢と西大沢の2つの集落では大規模に残っていて有名なのだとか。
 実際に近づいてみると、自動販売機やバスの待合室、家の入口などを四角く残して、その他はびっしりと竹で覆われている姿は圧巻だった。すべての家が黒い瓦屋根で統一されていることも、風景を引き締めている要因なのだろう。
 ゆっくり歩いて行く。集落の中にある小さな川の手間にバス停があった。そこから大沢バス停までは、たぶん100mといったところ。間垣が建つ田中屋旅館の前にポールが立っていた。
大沢のメインロード
11.大沢13:02→13:32輪島駅前(北鉄奥能登バス)570円 石川22き・878 日野
大沢の北鉄奥能登バス 狭隘路を行く  しばらく待っていると、先ほどのバスが輪島駅前行きになって戻ってきた。運転士さんに、先ほどはお世話様でしたと挨拶する。「小学校前で少し乗るだけで、お客はないから」とのこと。それなら大丈夫だろうと、ドア側の最前列の「優先席」に座る。
 運転士さんの言葉通り、西保小学校前から3人乗ってきた。その先の小池口から下山口までの間は、海沿いの県道を走らず山の上の狭隘路を走って、点在する小池や下山の集落に寄っていくのだ。バスは自由乗降だから、小学生は自分の家の最寄りで降りていく。それでも律儀に降車ボタンを押しているのはしつけがいいからだろう。
 そんな狭隘路の途中にある小池バス停で、大人の方が3人ほど待っていた。これは運転士さんにも予定外のことだったのだろう。小池口から海沿いの県道に戻っても、しばらくは狭隘路が続く。ところどころ拡幅工事が行われているし、場所によっては橋梁を造って拡幅しているところもあるが、海沿いに住宅が密集している集落は橋脚を建てる余地もなく、リエッセクラスのバスがやっとの狭隘路になっている。
 またしても途中の停留所に待ち人がいた。うれしい誤算だ。この先市街地に近づくと、まだ乗ってくる人がいるかもしれない。こちらも、優先席でない後ろの席に移動する。
 道路も海岸の高さまで下りていき、海岸沿いの2車線道路になった。左手には砂浜が続き、七ツ島も来たときと同様きれいに見えている。市街地のバス停で降りて行く人が多く、終点の輪島駅前まで乗ったのは自分ともう1人だけだった。
狭隘路を行く
昼食 ゴーゴーカレー
スペシャル ゴーゴーカレー  13時半を過ぎたが昼食がまだだ。北陸へ来たからには、1回は食べてみたいと考えていたゴーゴーカレーの店が、輪島駅の建物に入っている。
 やっぱりここは、いろいろ載ってる「メジャーカレー」1000円にしよう。食券を渡すと「昨日、松井選手がホームランを打ったので、トッピング無料券です。次回来店のとき使って下さい」とのこと。次回があるかどうかわからないが、最近は東京にも進出しているので、行く機会はあるかもしれない。
 それで、出てきた「メジャーカレー」がこれ。う〜ん、これはすごい。ご飯をビジネスクラスに増量しなくてよかった。と思ったけど、具が多いのでもっと食べられたな。
12.輪島駅前14:45→15:20曽々木口(北鉄奥能登バス)740円 石川22き・797 日デ/富士重工(ワンステ)
輪島駅前の北鉄奥能登バス 千枚田  次に乗るのは、輪島から日本海沿いに曽々木まで行き、そこから半島を横断して富山湾側の能都町の中心地、宇出津まで行く長距離路線だ。ただし乗車するのは、日本海側を行く曽々木口まで。
 写真を撮ってから乗り込むと、中ドアより前はすでに埋まっている。バスも大型になったが、乗客も多い路線のようだ。ワンステップになっているのはドア間だけ、中ドア直後の一段高くなった海側の席に座っていく。
 国道に出て塚田バス停を過ぎれば、左手に日本海が見えてきた。海岸沿いを走る区間もあれば、一段高い中腹を走る区間もある。そんなところに寝豚バス停があった。ちょうど降りる人がいたので、バス停の写真を撮ることができた。弘法大師が温泉に入る野豚を見たことが由来になっているらしいが、漢字で「寝豚」と書かれるとインパクトがある。
 白米には道の駅『千枚田ポケットパーク』があり、その脇には千枚田と呼ばれる小さな棚田が斜面に広がっていた。これが定期観光バスなら徐行なり停車なりしてくれるのだろうが、そこは普通の路線バス。ゆっくり見学できないのが残念だった。
ねぶたバス停
13.曽々木口15:45→16:28木ノ浦(北鉄奥能登バス)800円 石川200か・431 三菱
曽々木口の北鉄奥能登バス 上げ浜式塩田  曽々木口から木ノ浦までの区間が、能登半島を一周するときのネックになる区間だ。平日と土曜日が1日2本。日祝日は1日1本しかない。
 曽々木口から乗ったのは自分だけ。終点まで自分だけだった。夏休みになっていないなのだが、下校の小学生さえ乗ってこなかった。
 発車するとすぐに、曽々木海岸のホテルが建ち並んでいる。その先にある曽々木トンネルの新トンネルの工事をしていて、信号待ちになる。能登半島地震での斜面崩落で通行止めになったりしたそうで、今より山側に新しく長いトンネルを造る工事をしているようだ。
 信号が青になって進んでいく。新しいトンネルは800m近い長さで、2つのトンネルが廃止になるようで、トンネル間の風景を眺められるのも今が最後かも。しっかり景色を眺めていく。
 バスは輪島市から珠洲市に入る。真浦という地区で、かつては北陸鉄道系の「ホテルニューまうら」があり、金沢から直通の特急バスも走っていたのだが、今ではそのホテルも廃業していまい、区間運転も含めて1日数本のバスが来るだけになってしまったのだ。それでも、新しいホテルが何軒かあり、能登半島は自家用車で旅するところなのだろう。
 その先には道の駅『すず塩田村』があり、揚浜式塩田の砂地が広がっているのが車窓から見ることが出来た。その先には、間垣のある家があった。大沢ほど大規模ではないが、日本海に面したところでは見ることが出来るのだなと実感した。
 区間便の折り返し地点、高屋新保バス停を過ぎると、道は一転して登り坂の連続になる。つづら折りの道で峠を越えて下り坂になった途中に、終点の木の浦バス停があった。
間垣のある民家
14.木ノ浦16:48→16:59狼煙(北鉄奥能登バス)290円 石川200か・598 三菱
木ノ浦の北鉄奥能登バス 木ノ浦バス停  木ノ浦バス停は、折り返し場とポールとベンチがあるだけ。人家もない中腹を走る県道沿いにあった。もっとも、坂道を降りていけば木の浦の集落があるらしいので、利用者がないわけではないのだろうけれども。
 乗ってきたバスは早々に折り返してしまい、飯田方面とのバスとは連絡していないようだ。しばらくして、能登飯田方面からのバスが到着した。こちらのバスにも乗客はいなかった。発車時刻まではまだ間があったのだが、乗るならどうぞとドアを開けてくれた。外にも日陰があるとはいえ、冷房の効いた車内はうれしい。
 定刻に木ノ浦を発車する。道は下り坂で、トンネルを抜けてさらに下っていく。ほぼ海岸線と同じ高さまで下ったところが、集落もある能登折戸バス停。ここからご婦人が1人乗ってきた。曽々木からの便に比べて、こちらは本数が多く、木ノ浦発が5本(うち1本は山廻り)でこの能登折戸発も1本ある。
 バスは海岸沿いを行き、10分ほどで禄剛崎灯台のある狼煙に到着した。
見学 禄剛埼燈台
禄剛崎燈台
能登半島最北の地 夕食  まだ夏の日差しは明るいし、できればもっと先まで行きたかったのだが、狼煙まで乗ったバスが上りの最終便。能登半島に来て、禄剛埼をパスするのは無礼だろうと、今日はここで泊まることにした。
 予約しておいた禄光旅館に荷物を置いて、一段高い台地にある禄剛崎灯台を目指す。階段になっている遊歩道を上っていく。これがけっこう急なのだが、がんばって上っていく。すると、店じまいした売店のようなところに出た。そこを過ぎると、ようやく灯台のある台地に到着だ。
 能登半島産の石を積み上げた白亜の燈台は、背は低いもののどっしりしているにもかかわらず美しさを感じさせるデザインだ。なんでも1883(明治16)年に、イギリス人技師リチャード・ブラントン氏の設計に基づいて、日本人技術者の手で建設されたのだそうだ。
 宿の夕食は、海草をいしるでしゃぶしゃぶ(というほどいしるの量はないが)みたいにして食べるのが、ちょっと変わっていておいしかった。温かいいしるにつけた瞬間、まったく色が変わるのもあって、驚きながら食べた。

ホーム▲ 旅目次△ <第1日(後) 第3日>