第2日 〜2006.12.26(火)〜

長崎駅前→JR久留米駅

8.長崎駅前東口7:22→8:56諫早駅前(長崎県営バス)860円(S) 長崎22か28−53 三菱
長崎駅前の県営バス  冬の九州の朝は遅い。7時を過ぎているのだが、まだ薄暗い。撮った写真は、案の定流れてしまった。
 長崎駅前のバス乗り場は、方面別にいくつかに分かれている。諫早方面の県営バスは、長崎駅前東口を名乗る中央郵便局近くのポールからだった。
 この時間、駅へ向かうのではなく駅から出るバスだから、それほど乗客はいないと思っていたのだが、それは間違いだった。ドアが開くと次から次へと乗り込むではないか。
 路面電車は蛍茶屋まで。そこを過ぎると国道34号線の勾配が急になった。新国見トンネルを抜けて、長崎半島の反対側に出たところにある、長崎卸売団地の中で駅前から乗った人の大半が降りていった。
 ところが、この先は道路が混んでいて、だんだん遅れてきているようだ。諫早駅前到着予定が8:27にもかかわらず、8:25になってようやく長崎市から諫早市に入った。
 途中停留所からの乗客も多く、結局定刻から約30分遅れた8:56にようやく諫早駅前のターミナルに到着した。
旧小長井町(現諫早市)のフルーツバス停
フルーツバス停
 今は諫早市になってしまった旧小長井町。佐賀県と接し、長崎県の玄関を意識して、国道のバス停をフルーツの形にしてしまったのだ。
 そのフルーツは全部で5種類。イチゴ、ミカン、メロン、トマト、スイカ。すべて小長井町の特産品だという。フルーツになっているのは約4割の14ヶ所。トマトが2ヶ所でその他が3ヶ所。5種類全部回ろうとすると、それなりに計画しないと立ち寄ることができない。
 そこで、徒歩とバスを交えて、全区間バスに乗りつつすべての種類に寄る計画を立てた。第3案まで用意しておいたのだが、すでに諫早に遅れて着いたから第1案は不可能。そこで、第2案で実行することにした。
9.諫早駅前9:23→9:58小長井支所前(長崎県営バス)620円(S) 長崎200か・281 日野/J−BUS(ワンステ)
諫早駅前の県営バス 小長井支所前のイチゴ  今度のバスも、なかなかやってこない。この先も予定通り行くのだろうか。10分遅れでやってきたのは、真っ赤なボディーのワンステップバスだ。
 このバスは、佐賀県境へは向かわず、小長井支所前から別れて「みさかえの園」へ行く。まずは、国道沿いで一番遠い小長井支所前まで乗っていくことにした。
 外はいつしか雨になってしまった。今日は歩きもあるので、雨だけは降らないでくれと思っていたのだが、なかなか都合よくはいかない。諫早の市街地を抜ければ、長崎本線に沿った諫早湾沿いの道を行く。右手には、あの諫早湾の干拓潮受け堤防が見えてきた。
 このフルーツバス停のことを知ったのは、今はなきJTB「旅」誌2000年6月号の『フルーツバス停メルヘン紀行』という記事を読んで。いつかこの目で見たいと思っていた。乗り降り自由なSUNQパスのおかげで、その夢を実現できるのだ。
 小長井支所前バス停にあるのは、その記事の中でも絶賛されていたイチゴだ。地元の左官屋さんの職人芸で、イチゴの種の周りのへこみや、その先のヒゲまで再現されている(ものもある)。残念ながら、撮った写真にはヒゲつきの種はなかったけれど。
イチゴの拡大
徒歩 小長井支所前バス停→井崎バス停 約800m
 第2案の苦心は、途中までしか使えない「みさかえの園」行きを使ったところ。そのため小長井支所前バス停から1つ県境寄りの井崎バス停まで、歩いていかなくてはならない。
 相変わらず雨が降っている。イチゴのバス停の中で傘を広げて、国道の歩道を行く。最初は良かったのだが、小長井港に架かる高くて長い橋の上は、おもいっきり風が強い。折りたたみ傘が飛ばされそうになる。なんとかこらえて歩いていくと、道は下り坂になり、前方にイチゴとメロンのバス停が見えてきた。
10.井崎10:16→10:22小深井(長崎県営バス)140円(S) 長崎22か20−51 三菱
井崎バス停の県営バス 井崎バス停にメロンとイチゴ  雨の中やってきた井崎バス停は、上り方面がイチゴ。下り方面がメロンだ。このメロン、見るからにマスクメロンだ。白いひび割れがけっこうリアル。
 そんなメロンの中には、すでにバスを待つ人が2人。入って入れないことはないが、傘をたたんだりさしたりするのが面倒で、そのまま外で写真を撮ったりしてバスを待つ。
 バス停のすぐ後ろは有明海。天気が良ければ、海の向こうに雲仙の山々が見えるはずなのだが、今日は真っ白で何も見えないのが残念。
 やがて真っ赤な、県営バスがやって来た。今度は、前後ドアの2ステップバス。傘をたたんで乗り込む。
 今度は諫早方面へ戻る。4つほど戻った小深井にいくつもりだ。そこには、2ヶ所にしかないトマトがあるはず。つい先ほど走ってきた道を戻って、6分ほどで小深井バス停に到着した。たたんだ傘の雨水が切れる時間もなく、バスを降りて再び傘をさした。
 ここは海側に住宅が建っているものの、その先に有明海が見える。ただ、周囲に住宅は多く、年末のバスの時刻を調べに来る人の姿もあった。
井崎バス停のメロン
11.小深井10:34→10:44県界(長崎県営バス)250円(S) 長崎22か22−39 三菱
小深井の県営バス 小深井のミカン  小深井バス停にあるのは、ミカンとトマト。これで5種類中4種類制覇だ。
 まずは、下り方面に建つトマト。表面の派手さはなく、実物同様のっぺりした感じ。それでも、葉っぱを上手に配して単調さをぬぐっているように思える。
 上り方面はミカンも、表面はのっぺりした感じ。ミカンの皮の表面のブツブツ感を出そうとしたら、相当手の込んだものになってしまうだろう。こちらも、ちょこんと載った葉っぱの形が、ミカンであることを主張しているようだった。
 やってきた県界行きは、今までとは塗色の違うトップドア車。車内もリクライニングシートで、普段は長崎線などの長距離路線に使われている車両らしい。このバスに乗って、終点の県界(けんざかい)まで行ってしまう。まだ、スイカバス停に行っていないものの、1時間に1本の運転間隔では、すべてをバスで移動するには限界がある。残りの1つは歩いていくつもりだ。
 そのスイカのある阿弥陀崎バス停を過ぎると、バスは国道の左側にある細道へと入っていく。これが旧道のようで、バス1台がやっとの道を進む。小さな橋の手前、左側にある空き地が長崎県営バスの県界バス停だった。
小深井のトマト
徒歩 県界バス停→阿弥陀崎バス停→県界バス停 片道約590m 往復約1.2km
阿弥陀崎のスイカ 阿弥陀崎のスイカとミカン  県界バス停は、木造の小さな待合室があり、ベンチが2つほど置いてあった。荷物に「阿弥陀崎のフルーツバス停見学中。危険物・爆発物ではありません」と貼り紙して置き去りにする。まあ、盗まれないという保証はないが、警察に通報されることはないだろう。
 歩いて10分もかからずに、阿弥陀崎バス停に到着した。まずは手前の下り方面、ミカンバス停を撮影する。ここも井崎バス停同様、すぐ後ろが有明海だ。すこし雲が切れて、雲仙の山が頭をのぞかせた。
 そして、いよいよ5種類目のスイカバス停とご対面だ。こちらも形はのっぺりしているものの、塗装がみごと。スイカ特有のスジを、色の濃淡を使って表現している。黒く太いスジの間に、薄く入るスジ。それがヒビのように左右にのびていくなど、リアルさにほれぼれする。
 イチゴが職人芸の造形だとしたら、スイカは職人芸の塗装と言っていいだろう。しばし、阿弥陀崎バス停を眺めてから、再び県界バス停へと戻っていった。バス停に戻ると、母子2人が待合室にいるではないか。いくら貼り紙してあるからとはいえ、ちょっとばつが悪かった。
阿弥陀先のミカン
見学 長崎・佐賀県境 県界バス停(長崎県営バス)と県界バス停(祐徳バス)
県境に架かる橋 2つの県界バス停  小さなコンクリート製の橋が、長崎県と佐賀県の県境になっている。大型車が通れないであろう橋の両側に、それぞれ長崎県営バスと祐徳バスの県界バス停が立っている。
 長崎県営バスは、トタン貼りの木造小屋の待合室が回転場となっている広場の脇にあり、そこにポールが立っていた。
 祐徳バスは、回転場とバス停が少し離れていて、バス停のポールは橋を渡ってすぐの商店の前に立っていた。こちらには、バス待ちできるような屋根のある場所はなかった。バスの回転場は、その道を少し進んだ道路脇にあった。
 2つの回転場は川を挟んでほぼ同じ位置にあり、道路から待機している祐徳バスを撮ると、川の向こうには待機中の長崎県営バスを小さく写すことが出来るのだった。
 雨ということもあり、ちょっと肌寒くなってバス停前の自動販売機で、ホットコーヒーを買って暖まる。今朝はまだ、まともなものを食べていない。何か食べたいとは思うものの、これと思うものが見つからない。
 そうこうしているうちに、バスの時間が近づいてきたので、再び長崎県へ戻り、県営バスの待合室に置いてあった荷物を持って、再び佐賀県へ戻ってきた。
県界のバス待機
12.県界11:32→12:16中川(祐徳バス)680円(S) 佐賀22き・145 いすゞ/IK COACH
回転場へ向かう祐徳バス 長崎本線の脇を行く  「太良・県界」と表示したバスがやってきて、そのまま回転場に行ってしまった。橋を渡って長崎県営バスに乗り継ぐ人はいるのかと見ていたが、このバスにはそういう人は乗っていなかった。
 やがて時間になり、今度は行き先を「鹿島バスセンター」に変えてやって来た。トップドアのキュービックというのは都会では見ることはないが、観光地なら出会えそう。しかしながら、今日までなかなか乗車の機会がなかった。
 始発の県界バス停から乗ったのは自分だけだった。発車すると、すぐに坂道を登って国道に合流した。右手に有明海を見ながら、初めは長崎本線より山側を走っていたものの、途中で線路を越えて海側に出ると、あとはそのまま国道が海側になっていた。
 国道脇の里信号場では、行き違いをする特急「かもめ」をすぐ近くで見ることが出来た。その先の、波渡ノ浦や太良高校前では、バスは国道を離れて細道に入っていった。
 それにしても、町名と高校名は太良で、駅名と小・中学校名は多良。いったいどうして字が違うのだろうと思って調べてみると、太良は町名で多良は町内の集落名のようだ。そうとわかれば、高校と小・中学校で字が違うのも納得がいく。
 バスは鹿島市へと入っていく。2006年10月1日の改正で時刻が変わってしまい、次のバスまで時間がある。SUNQパスをいいことに祐徳神社前まで行って、佐賀へのバスに乗り換えようと思う。一番近い乗り換え停留所は浜三ツ角だけれども、祐徳バスの駅にもなっている中川でバスを降りる。窓口もある立派なバス駅だった。
県界の祐徳バス
13.中川12:24→12:33祐徳神社前(祐徳バス)250円(S) 佐賀22き・414 日デ/西工(ワンステ)
中川の祐徳バス  やってきたのは、ワンステップのトップドア車。西日本車体工業のボディで、この大きな曲面1枚ガラスのフロントは、関東ではほとんど見る機会がなく新鮮に映る。
 今回の旅でも、昨日佐世保市営バスで1回出会っただけだ。九州に比較的多いとのことだけれども、そう簡単には出会えないようだ。
 浜三ツ角までは、今来た道を戻っていく。祐徳神社方面へ右折したところに、この路線の浜三ツ角バス停があった。もし、ここで乗り換えようとしたら、ちょっと迷っていたかもしれない。
 そのまままっすぐ走っていき、とても広い敷地がある祐徳神社前に到着した。車庫とともに、きっぷ販売所や待合室のある駅舎も建っている。
 その近くには、祐徳神社郵便局が建っていた。持ってきた佐賀新聞の広告入り年賀ハガキを、郵便局前のポストに投函しておく。「佐賀県で投函した証拠に、消印を押して配達して下さい」という付箋をつけて。(届いたハガキは「鹿島」という消印が押されていました。県名がないので、知らない人には茨城県の鹿嶋市と間違えられてしまいました。)
14.祐徳神社前12:50→14:08佐嘉神社前(祐徳バス)1000円(S) 佐賀200か・102 いすゞ(ワンステ)
祐徳神社前の祐徳バス  最初の計画では、佐賀駅バスセンターで佐賀市営バスに乗り継ぐ予定だった。ところが祐徳バスの時刻改正があり、時刻が繰り下がったため不可能になってしまった。
 もうダメかと思ったのだが、調べてみると佐嘉神社前というバス停をどちらのバスも通り、そこなら定時で16分の乗り継ぎ時間がある。かなりギリギリではあるが、可能性はこれしかない。
 駅舎から佐賀方面発車ですのアナウンスが流れ、バスは自分だけを乗せて発車した。このバスの運転士さんはとっても話し好き。SUNQパスで乗っていると言うと「聞いてはいるが、まだ実物を見たことがない」という。
 そんなところから始まって、昔のボンネットバスは運転が大変だったとか。東京にもうちの関連会社があるけど知っているかとか。いろいろなことを教えてくれた。そんな話しをしても迷惑にならないのは、他に誰も乗ってこないからだ。
 それでも、佐賀の市街地が近づくとやっと1人乗ってきた。多少遅れたものの、その遅れもわずか6分。1時間以上の路線だから、ほぼ定刻といっていいだろう。運転士さんに見送られて佐嘉神社前でバスを降りた。
15.佐嘉神社前14:21→14:40昇開橋展望公園前(佐賀市営バス)410円(S) 佐賀200か・110 日野(ノンステ)
佐嘉神社前の市営バス 昇開橋展望公園前バス停  バス停のすぐ近くにおまんじゅうやさんが見える。寒いしお腹は空いているし、肉まんとあんまんを買ってくる。手作り饅頭でなかなかおいしかった。
 予定時刻から3分ほど遅れて、ようやく乗車予定の中津江行きの市営バスがやって来た。日野のノンステップバス。この旅でノンステップバスに出会ったのは、これが最初だ。
 バスは国道208号線を諸富橋まで進む。ここは、久留米と佐賀を結ぶ西鉄バスの路線も通る道。その西鉄バスと途中ですれ違う。
 諸富橋を渡れば福岡県だが、バスは右折して筑後川沿いの道を走る。すぐに旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋が見えてきた。バス停の名前もそのものズバリ「昇開橋展望公園前」。ボタンを押してSUNQパスを見せて降りる。
 長崎・佐賀県境は、小さな川に架かる橋を歩いて渡った。佐賀・福岡県境は、県境越えの路線バスはあるのだけれども、あえて廃線跡の長い橋を歩いて渡ろうと思う。
 でも、こちらの橋はいつでも渡れるわけではない。30分間ずつ1日8回、昇開橋が降りてきて渡ることが出来るのだ。
昇開橋の通行時間
徒歩 昇開橋展望公園前バス停→(筑後川昇開橋)→筑後川昇開橋バス停 約600m
諸富駅跡
(1)佐賀県側には諸富駅がありました
昇開橋の佐賀県側
(2)歩道には線路と枕木が描かれています
鉄塔
(3)昇開部分を支える鉄塔
降りてきた橋
(4)昇開橋が降りてくるまで柵が閉まっています
通路が開く
(5)昇開橋が降りてきて扉が開きました
福岡県側
(6)福岡県側は筑後若津駅がありました
16.筑後川昇開橋15:08→15:34西鉄柳川駅(西鉄バス)350円(S) 久留米200か・461 日野/西工
昇開橋バス停の西鉄バス 筑後川昇開橋バス停  橋の通行時間が15:05〜15:35だから、このバスに乗れるわけはないのだが・・・。どうやら、他にも通行人がいたので、予定よりも早く橋を降ろしてくれたようだ。
 まったく時間を気にせずに、降りてきた可動部分を渡っていく。昇開橋そのものが公園になっているのだろうか、可動部分を渡った福岡県側の橋の上に、小さな売店があった。絵はがきやスタンプなどが置いてあり、何点か求めてから「柳川行きのバスは本数少ないんですよね」というと、もうすぐあるはずだという答えが返ってきた。
 そんなはずはないと、時計を見れば、まだ15時を過ぎたばかりではないか。次のバスまで、まだ数分ある。急いで橋を渡りきれば乗れてしまいそうだ。ということで、急ぎ足で福岡県側の橋を歩いて行った。
 福岡県側は住宅地が広がっており、橋のたもとに筑後若津駅があった。バスもその駅跡まで乗り入れている。そのバス停はすぐに見つかったが、バスの姿はなかった。まだ発車時刻にはなっていないので、これからやってくるのだろう。
 計画では、筑後川沿いに上流へ歩いて、大川橋から久留米行きのバスに乗る予定だったのだが、ここからバスに乗れる以上は、バスに乗って先に進もう。
 福岡県側のバス停名は、筑後川昇開橋とそのものズバリの名前。ここから出るバスは、西鉄柳川駅行きの1系統だけ。住宅地や市街地の中を25分ほど走って、西鉄柳川駅へ運ばれた。
柳川駅に着いた西鉄バス
17.西鉄柳川駅15:52→16:23大川橋(西鉄バス)350円(S) 久留米200か・423 日野/西工
西鉄柳川駅の西鉄バス  西鉄柳川駅から、大川橋を渡って佐賀駅へ行くバスに乗っていく。途中までは、先ほど乗った筑後川昇開橋からのバスと同じ道を戻っていく。
 県境を歩くのでなければ、この逆方向に乗っていただろう路線だ。今回は県境は越えず、福岡県最後のバス停大川橋まで乗っていく。
 実は柳川も初めての地。九州でも有名な観光地だし、時間があればゆっくり水郷観光の船に乗ってみたいところ。しかしながら、予定外のバスに乗って柳川まで足を伸ばしたので、先を急がないと今日の目的地まで行き着かない。
 柳川の商店街が続くなか、バスは走っていく。やがて、バスは柳川市から大川市に入っていく。古賀政男記念館を過ぎ、大川家具会館のところで先ほど昇開橋から来た道と分かれ、そのまま国道208号線を進んでいく。その先で、ようやく1人乗ってきた。
 大川橋の放送があり、ボタンを押して降りる。この先、筑後川には大中島というホテルや公園もある大きな中州がある。この中州は佐賀県。福岡県と中洲に架かるのが大川橋。そして、中洲と佐賀県側に架かるのが先ほど曲がった諸富橋だ。
18.大川橋17:03→18:11JR久留米駅(西鉄バス)750円(S) 久留米200か・501 日デ/西工(ワンステ)
大川橋から見る夕日 大川橋バス停  筑後川昇開橋で柳川行きのバスに乗れたことで、予定より大回りして大川橋に到着した。当初の予定では、1時間前のバスに乗るつもりだった。遅くはなったが、徒歩区間がなくなりバスでつなげることが出来たのだからよしとしよう。
 乗車するのは、JR久留米行きの最終バスになってしまった。そのバスまで30分ほど時間があるので、筑後川に行ってみる。川岸はコンクリートで固められていて、なにやら注意書きがある。そこは貨物用の岸壁になっていたのだ。こんなところまで、貨物船が上ってくるのだ。それだからこそ、昇開橋が必要だったのだろう。
 九州とはいえ、17時を回り冬の太陽が落ちていく。岸壁に立つと、ちょうど昇開橋の方に落ちていくので、露出を変えて何枚か撮影してみる。昇開橋は今日最後の通行時間が終わり、ゆっくりと昇開部分が上がっていくのが見えた。
 今度の乗り場は、先ほど降りたバス停から右折したところ、ちょうどバスの車庫の前にあった。そして、発車時刻の数分前にバスはやってきて、ドアを開けてくれた。この最終バスに、大川橋から乗ったのは3人だった。
 バスは筑後川の堤防上の道を走っていく。すると、川原に廃線跡のような橋脚が見えた。何だろう。治水工事用の軽便鉄道でもあったのだろうか。やがて三潴小学校前に来ると軽便機関車があり、歩道には線路の絵が描かれている。これは何か鉄道があったに違いない。後で調べてみると、かつての西鉄大川線の跡だということがわかった。
 やがて外は真っ暗になり、あまり乗客が増えないままJR久留米駅へ到着した。西鉄バスでありながら西鉄久留米駅を経由しない、数少ない路線らしい。
大川橋バス停の西鉄バス

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