第4日 〜2008.5.26(月)〜

糸満ロータリー→喜屋武→喜屋武岬

18.糸満ロータリー7:32→7:42県営新垣団地入口(琉球バス交通)220円 沖縄200あ・・62 日野
糸満ロータリーの琉球バス交通 糸満ロータリーバス停  糸満ターミナルから出ている循環路線。朝夕の運転が中心で、これを逃すとなかなか乗り継ぎがうまくいかない。午後の飛行機で帰るので、今朝は早くからバス乗車となった。
 南部循環線は、時計回りが107系統、反時計回りが108系統。昨日とできるだけ経路が重ならないように、107系統に乗っていく。ロータリーの一角にある停留所で待っていると、昨日乗った小型バスがやってきた。
 今日は月曜日なので、他にも乗客がいる。途中から、かなり狭い住宅地の中の道を走る。郵便局の前に大里バス停があった。その先、坂を登って県道に戻ると高嶺小学校前。ちょうど小学生が登校している時間帯だった。
 そのまままっすぐ県道を進んだ、道路拡幅中の道端に、県営新垣団地入口バス停は立っていた。
徒歩 県営新垣団地入口バス停→白梅の塔(約1.2km)
畑の中から林の中へ 白梅の塔への案内板  愛用しているプロアトラスの沖縄地図1:25000を見ていると、○○の塔と表記されているものがいくつもあった。今回は大人の修学旅行だから、ひめゆりの塔以外にもどこかに行こうと考えていた。
 バス路線との関係で、その中から「白梅の塔」を訪れてみることにした。こちらは、第二高等女学校の白梅学徒隊の慰霊碑とのこと。
 バス停から1.2km、ゆっくり歩いても20分くらいなのだが、とにかく暑い。遮るもののない畑の中の道を歩いていく。ただ、交差点にはかならずといっていいほど案内板があり、用意していった地図を見なくても歩いて行くことができた。
 ようやく目の前に、こんもりした木立が見えてきた。道路が木立の中に入ると、すぐに白梅の塔があった。
見学学習 「白梅の塔」
白梅の塔 白梅の塔の碑
お堂 白梅の塔  道路の木立と反対側には、駐車場と公衆トイレがある。それなりに規模のある慰霊塔なのだが、今はひっそりとしている。しかし、道路上の落ち葉はしっかり掃かれているから、毎日手入れをしている方がおられるのだろう。
 正面には立派な塔が建ち、その下には慰霊碑と納骨堂があった。
 その塔の右側に「白梅学徒看護隊 自決之壕」の碑が建っていた。6月4日に解散命令が出て、いったん解散した白梅看護隊。解散後、後退していく中、一部の白梅隊員がこの壕にいたところ、6月22日にアメリカ軍の猛攻撃を受けて、壕内で自決したのだという。
 敷地の右手には、朱色のお堂とその脇に壕へ続く階段があった。その階段をのぞき込むと、祭壇があるのが見える。しかしながら、そこへ行くのは神聖な場所を余所者が汚すようでためらわれた。階段の上から手を合わせて、写真だけ撮らせていただいた。
 昨日、ひめゆりの塔で購入した資料集にも、県内各地に建つ学徒隊の慰霊碑が掲載されていた。こんなにたくさんあったのかと、正直驚いたし、この年齢までそれを知らなかったことが少し恥ずかしかった。今回の大人の修学旅行では、2ヵ所しか回れなかったけれど、次回はもう少し回れるようにしっかり勉強しておこうと思った。
壕内の祭壇
19.県営新垣団地入口9:24→9:48喜屋武(琉球バス交通)350円 沖縄22き・647 日野
新垣団地入口の琉球バス交通 喜屋武に着いたバス  再びバス停に戻る。しかし暑い。沖縄のバスに乗っていて感じたのが、道端の自動販売機というものが少ないということだ。何か飲みたいのだが、見渡しても自動販売機はない。
 もしや団地まで行けばと、少し脇の細道に入ってみると、ようやく小さな公園の前に自動販売機を発見。ようやくひと息つけた。
 やってきたバスは、昨日2回もお世話になった車両だった。今朝乗ったバスより大きい。ところが、そのバスが狭い道を走っていくのだ。今日で沖縄のバス4日目だが、こんな狭隘路が続く路線は、これが初めてだ。
 しかも、狭い交差点を何度も曲がること。この大きな車体でよく通れるなと、運転士さんの腕前に感心してしまう。
 米須バス停から、昨日82系統で乗った国道に戻る。再びひめゆりの塔前を通って、小波蔵までは同じ道を行く。小波蔵の交差点を左折すれば、いよいよ喜屋武の集落へ向かう道に入る。やがて、集落の入口にあるロータリーに到着した。バスが入るのはここまでだ。
狭隘路を走る
徒歩 喜屋武バス停→喜屋武岬(約1.8km)
サトウキビ畑の中を歩く バス停から岬まで1.8キロ  喜屋武の集落から岬までは1.8km。歩いて30分くらいだろう。あらかじめ用意してきた地図を見ながら、家並みの中の細道を歩いて行く。
 やがて家並みが終わると、周りは畑に変わる。ひときわ背が高いのが、サトウキビ畑だろう。まだ、5月だからあの太い茎は伸びていないけれども。
 しばらく行くと、正面に喜屋武岬灯台が見えてきた。あそこまで行けば岬なのだなと、元気が出てくる。周囲が畑から林に変わると、岬まではあとわずかだった。
見学学習 喜屋武岬と「平和の碑」
喜屋武灯台と今は平和な海
喜屋武岬の平和の碑  バス停から歩きはじめてちょうど30分で、水色の「平和の塔」と屋根付きの休憩所がある喜屋武岬に到着した。付近にあるのは、公衆トイレだけ。土産物屋1件ない、観光地ではない最南端だ。
 まずは、日陰の休憩所でひと休み。数枚の写真を撮って、パノラマ合成したのが上の写真。真ん中のつなぎ目が少し目立つ程度で、こちらは上手につなげてくれたようだ。
 この喜屋武岬は、沖縄戦の激戦地で地形が変わるほどの攻撃を受けたところだという。追い詰められた兵士や住民の多くが、ここから身を投げたのだという。  この平和の塔は財団法人沖縄遺族連合会が建立したもので、第六二師団管下部隊がこの地で善戦空しく玉砕したことと、戦後地元の方々が兵士・住民合わせて1万柱の遺骨を収集して奉納し「平和の塔」と名付けたと刻まれていた。
 今は、目の前に青い海が広がる、本当にきれいな風景が広がるだけ。かつてここが、血で真っ赤に染まるほどの光景だったということが、言葉ではわかっていてもその光景を頭に思い描くことがどうしてもできなかった。経験のない風景を想像することの難しさを実感した。
 やがてレンタカーがきて、若い女性が2人降りてきた。平和の塔に片足をかけると、両手を広げておどけたポーズで写真を撮っていった。空しいものを感じた。

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