第3日 〜2008.5.25(日)〜

那覇バスターミナル→糸満ロータリー

10.那覇バスターミナル7:19→8:23志喜屋(東陽バス)830円 沖縄22き・343 日野
志喜屋についた東陽バス 車内の運賃表示器  那覇バスターミナルは、コの字の内・外側両方に乗り場がある。降車ホームのほかに乗車ホームが13蕃線まである。14番ホームの場所は、旭橋というバス停になっている。なぜ、同じ場所にあるのにここだけ違う名前なのかは謎だけれども。
 ホテルを時間ギリギリに出て、乗り場へ向かった。今日乗るのは東陽バス。東陽バスはこの辺りといってみるが、バスがいない。正直あせった。近くにいた運転士さんに確認すると、全然場所が違う。発車時刻までもう1分を切った。急いで乗り場へ向かうと、ウィンカーを出して出発するところ。
 沖縄の日本返還が1972年5月15日。それから6年あまり経った1978年7月30日。日本に返還されてアメリカ統治下と同様の「人は左、車は右」だったのを、本土と同じ「人は右、車は左」にこの日から変更されたのだった。当然、片側にしかドアがないバスは、1日にしてほぼ全車が新車に切り替わった。
 その時導入されたのが「730車」。導入から30年経ったが、まだ数台が現役で残っている。とくに東陽バスの馬天営業所にまとめて数台残っているので、運がよければこの路線で出会えるかと期待したのだが、乗ったバスも、すれ違ったバスにも730車の姿は見られなかった。
 那覇を出てから40分、馬天入口までずっと4車線道路が続く。交通量もそこそこあり、やはり沖縄は道路が整備されているんだなと感じる。車内の乗客は数人。その数人も、2車線になってから少しずつ降りていく。
 やがて斎場御嶽入口というバス停を通る。斎場御嶽は沖縄にある世界遺産の1つ。沖縄の「聖地」だそうで観光気分で立ち寄る場所ではないとの記述も見られたので、今回はパスしてそのまま終点の志喜屋へ向かう。  
沖縄の海は島がいくつも見える
11.志喜屋8:30→8:53糸数入口(琉球バス交通)270円 沖縄22き・307 日野
志喜屋の琉球バス交通 奥武島が見える  志喜屋からは、53系統の那覇行きに乗車する。この系統は琉球バス交通が運行している。やってきたのは、オレンジを基調にした旧米軍スクールバス色という塗色の車両だった。
 志喜屋バス停をでたのに、放送では次も志喜屋だと言っている。しかも、国道を右折して大型車1台がやっとの、海側に広がる集落内の細道を走っていく。集落を抜けると、国道331号線に戻った。
 国道を走るのもつかのま、すぐに右側の細道に入って、百名という集落を抜けていく。途中に琉球バス交通の百名出張所があり、建物の後ろに車庫があるのが見えた。その百名地区を抜けると、また国道に戻る。
 国道は海岸から離れた、山の中腹を走っている。けっこう曲がりくねっていて、アップダウンもある。富里バス停を過ぎると、ここで右折して那覇に向かうはずと思っていたのだが、そのまま直進するではないか。
 その先、奥武入口で左折して山をどんどん下っていく。そして、海岸沿いまで降りてきて、そのまま橋を渡っていく。橋を渡ったところが、奥武(おう)島。その島の入口に奥武バス停があり、そこから数人が乗ってきた。
 お客を乗せればUターン。欄干にハーリーに使う舟だろうか、モニュメントが載っている。再び奥武入口を通り、富里の交差点を左折して那覇への道に入る。次のバス停が玉城中学校前。南城市役所の支所や小中学校が建っている。先ほど通った奥武島には学校はなく、高台のここまで通っているのだとか。糸数入口は、そこから2つ目だった。
奥武島への橋のモニュメント
見学学習 糸数アブチラガマ(入壕料250円、ガイド料1000円、懐中電灯レンタル100円)
糸数アブチラガマの説明板
南部観光総合案内センター アブチラガマの入口  沖縄に行くのなら、ガマの見学をしてみたいと思っていた。ところが、個人が見学できるところが少ない。公開をやめてしまったガマもあるという。
 事前学習をせず、単なる洞窟探検と勘違いしてやってくる修学旅行生も多く、説明してくれる現地の方の心を傷つける言動もあり、公開中止にしたところもあるとのこと。
 この糸数アブチラガマは、南部観光総合案内センターできちんと管理されていて、事前にガイドを申し込んだ人しか見学できない仕組みになっている。1人でもガイドをお願いすれば見学可能とのことで、事前に予約をしておいたのだ。
 受付で料金を払い、レンタルの懐中電灯を借りる。ここで、今日ガイドしてくれるOさんと顔合わせ。「修学旅行の下見ですか」とたずねられる。まあ、これくらいの年齢の人間が1人でくるのは、修学旅行の下見くらいなのだろう。
 外でヘルメットを借りて、いよいよ入口へと向かう。途中に石板よるガマの案内があり、そこで簡単に事前説明がある。そして、いよいよガマの入口へ。係員にチケットの半券を切ってもらって、ガマへの入口に到着。壕内の撮影は許可がないと不可とのこと。出入り口はOKとのことなので、ここで1枚撮影しておく。
 入る前に、Oさんはヘルメットを脱いで黙祷する。そして、これから入る事へのお許しを口にしている。一緒にお願いしますとは言われなかったけれども、こちらもヘルメットをとって黙祷する。
 壕の高さはそれほどない。そこに付近の民家を壊した資材を利用して、急ごしらえの2階屋を建てて病棟にしたのだとか。脳症患者収容区というのがあり、なんでこんなとこに脳症がと思ったのだが、説明されてようやく理解できた。
 負傷兵の多くは、腕や足の切断を余儀なくされた。その結果、破傷風になってしまう。その破傷風菌が脳に回って脳症になる負傷者が多かったのだという。
 「電気を消して当時を体験しましょう」という言葉で懐中電灯を消す。ひと筋の光のありがたさを実感した。
入壕券
アブチラガマの出口
徒歩 南部観光総合案内センター→糸数入口バス停(約900m) の風景
坂道から海が見える サトウキビ畑  南部観光総合案内センターと糸数入口バス停の標高差は、地図で見ると約60m。登り坂も急だったが、その坂を下っていかなければならない。
 下に壕がある台地は、住宅やサトウキビ畑が広がっている。台地を少し行くと、そこから急坂が始まる。すると目の前に風景が広がる。
 海沿いに広がる住宅の向こうに、真っ青な海が広がっている。海底に地形の関係なのだろう。海岸に近づくと、突然白い波が現れる。
 かなりの急坂なので、しっかり足でブレーキをかけながら下っていく。ところどころで立ち止まっては、写真を撮ってひと休みする。
 バス停の近くに小さな公園のようになったところがあり、ベンチに腰掛けてバスを待つ。坂を登ってくるバスが見えて、ポールのところに移動した。
12.糸数入口11:09→11:19百名ターミナル(琉球バス交通)200円 沖縄22き・611 日デ/富士重工
糸数入口の琉球バス交通 糸数入口バス停  坂道を登ってやってきたのは、51系統の百名ターミナル行き。行き先表示に「百名」の文字がなかったので心配になり、乗車時に運転士さんに確認すると間違いなくターミナルまで行くとのこと。
 やってきたのは、日産ディーゼル+富士重工の前中ドアの車両。よく考えたら、沖縄のバス旅でこの組み合わせのバスに乗るのは、これが初めてだ。那覇のターミナルでは、よく見かけたのだけれども、なかなか乗るタイミングがなかった。
 車内は路線用の2人掛け座席がズラリと並んでいた。中ドアは、沖縄改造でステップが埋められていて、そこにも2人掛け座席が設置されている。ドアステップの手すりは、前側だけが残っている。
 先ほど来た道を、富里まで戻る。次の経路は、ここで50系統に乗り換えるのだが、まだ時間があるので、終点の百名ターミナルまで行って乗り換えよう。
 このバスは53系統とは違い、奥武島へ寄り道せずにそのまま百名を目指して走っていった。乗客は自分以外におらず、次々と停留所を通過していく。
 志喜屋から乗ったバスを逆方向に進む形で、百名の集落に入っていく。途中、鍵型に曲がっているところもあり、バスは慎重にすり抜けていく。このバスは、百名ターミナル止まりなので、道路上ではなく左折して出張所の敷地に入ったところが終点だった。
 自分が降りると、バスはすぐに奥の車庫へと走っていった。53系統に乗ったときは、前を通過しただけだったのでよくわからなかったが、車庫は右手の方に広がっていて、この時間は4〜5台のバスが停まっていた。
中ドアも座席化された車内
13.百名ターミナル11:30→11:45魚市場前(琉球バス交通)230円 沖縄200か・115 日野
百名ターミナルの琉球バス交通 百名ターミナル  次のバスまで10分ほど。ターミナルの壁沿いにベンチがあり、そこに座ってバスを待つ。次に乗るのは50系統の那覇行き。那覇行きだけでも何系統もあり、沖縄のバスに乗るには系統番号を確認することの重要性がわかってきた。
 車庫に停まっているバスは、50か51の系統番号をつけている。先ほど乗ってきたバスも、今は50の系統番号を出している。できれば、違うバスがいいなあ。どれが来るのだろうと待っていると、出張所の建物から運転士さんが出てきて、一番左の日野車に乗り込んだ。どうやら、あれが次の50系統になるようだ。
 バスは前後ドア。後部ドアのステップはふさがれて、そこにも座席が設置されている。運転席側は、路線用の2人掛けシート。ドア側は1人掛けシートが増設されて、2列になっている。当然、ドア側の方がゆったり座れる。
 自分ともう一人、中年のおじさんを乗せて百名ターミナルを発車する。富里までは、今日3回目になる。その富里でおじさんが押しボタンを押す。ところが、そのおじさん、わけのわからないことを口走っている。所持金も数十円しかなく運転士さんも困り果ててしまった。数分、バス停に停車したままになったが、結局おじさんはそのまま下車。運転士さんから「どうもすみませんでした」との言葉があったが、大変だったのは運転士さんの方だっただろうに。
 しばらく行くと、国道から右側の道に入っていく。坂を下って橋を渡ると左折する。すぐ上には、国道の雄樋川大橋が架かっている。その橋をくぐってすぐのところが魚市場前バス停だった。
後ろドアも座席化されている
14.魚市場前11:56→12:08ひめゆりパーク入口(琉球バス交通)300円 沖縄200あ・・62 日野
魚市場前の琉球バス交通 魚市場前バス停  今度の乗り継ぎは、長毛から具志頭の間のどこで乗り換えてもよい。「美ら島交通なび」というサイトで調べてみると、魚市場前とか向陽高校前というバス停が出てくる。そんな中で、風景が想像できそうな魚市場前で乗り継ぐことにした。
 魚市場前バス停に立つが、魚市場はどこにあるのだろう。川はすぐそこが河口で、その河口付近が港川漁港になっている。漁船の向こうに見える建物が魚市場なのかもしれない。
 次に乗るのは82系統。糸満と観光地の玉泉洞を結んでいる路線で、土休日の方が本数が多い観光路線だ。今日はこの先、この82系統を乗り継いで見学を進めていくつもりだ。
 やってきたのは、日野のトップドア。今までより小さなバスだ。行き先方向幕には、行き先ではなく路線名が表示されていた。行き先はというと、フロントガラスのところに表示板で示しているのだが、交換するのを忘れたのか玉泉洞を表示したままだった。このバスは糸満ターミナル行きのはずだ。
 向陽高校前から国道331号線に戻って、バスは快調に走っていく。少しの住宅とサトウキビ畑が広がっている台地を、バスは走っていく。
 八重瀬町役場のところで、国道507号線が右に分岐していく。そういえば、今日乗るバスで初めて那覇とつながっていない路線なのだ。バスも小さいが、乗客もほとんど乗っていない。
 役場を過ぎると、国道は緩い登り坂が続く。太陽は強く、影の色がいっそう黒く見える。やがて、国道がカーブしたところにある交差点近くに、ひめゆりパーク入口バス停があった。バス停名のパークは、2005年に閉園してしまってすでにないとのこと。
魚市場前の漁港
昼食 ヘリオスビールブルワリー
ブルワリーの入口 ブルワリーの看板  ここで降りたのは、すでに閉園になったひめゆりパークを探検に行くためではない。沖縄の地ビール「ヘリオスビール」のビアレストランに行くためだ。交差点を県道へ入り、ほんの数十メートルいったところに目指すビアレストランがあった。
 白い外壁に南国の花が咲き、ちょっと一人客は入りずらそうな雰囲気。でも、ドアを開ければそんなことはなかった。休日のお昼時なのに先客はおらず、冷房の効いた席に案内してくれた。
 ビールを楽しみに来た旨を伝えて、ビールのメニューをまず眺める。いろいろ飲みたいのだけれども、今日はこれからも見学がある。酔って見学するのは、ちょっと失礼だろう。ヴァイツェン、ゴーヤビール(発泡酒)、ポーターを1杯ずつ飲んでビールは終わりにしておく。
 ゴーヤビールは、まさにご当地アルコール。苦みのあるあと味が残る。ホップの苦さとはまた違う、何ともいえない味だ。けっして不味いわけではなく、クセになりそうな味といったらいいだろうか。
 もちろん、飲むだけではない。料理も何品か注文する。これもなかなかおいしいではないか。そうしているうちに、何組か食事のお客さんがやってくる。といっても、みな自家用車。しっかりビールを飲んでいるのは、自分くらいのものだ。でも、ビール以外のお客さんがこれだけくるということは、料理の質も高いという証拠だろう。
ヘリオス麦酒
15.ひめゆりパーク入口14:12→14:15平和祈念堂入口(琉球バス交通)140円 沖縄200か・581 日デ/富士重工
ひめゆりパーク入口の琉球バス交通 ひめゆりパーク入口バス停  外は暑いので、バスの時刻の10分ほど前に、ビアレストランを出てバス停へ向かう。国道の脇は畑。太陽を遮るものはなにもない。あっという間に汗が出てくる。早く来ないかなとカーブした国道の先を眺めると、ようやくバスの姿が見えた。
 やってきたのは、那覇バスと同じレインボー塗色の車両だった。那覇バスも琉球バス交通も、今では第一交通グループになったので、塗色も同一になりつつあるようだ。
 平和祈念堂入口は、次の停留所。それでも距離にすると1.2kmほどあり、停留所間の距離としては長い方だろう。今度のバスは、数人の先客がいた。すぐ降りるので、一番前の席に座って次の停留所を目指す。
 ひめゆりパーク入口から、3分ほどで到着した。
見学学習 県営平和祈念公園
沖縄戦跡国定公園の太平洋を見る
沖縄平和祈念堂  バス停の名前は平和祈念堂入口だが、目の前に広がるのは「平和祈念公園」。中には平和祈念資料館と平和の礎がある。
 公園に入ると、その入口におばさんが2人座って、花と線香を売っていた。「お花とお線香、お供えしてあげてください」と通る人に声をかけている。ガイドさんに連れられた観光客には、最初から声をかけていない。格好のターゲットになってしまった。数分後「お線香は火をつけないでそのままお供えして下さいね」の声を背中で聞きながら、お花とお線香を持ってメイン通路を歩いていた。
 左手には、真っ白な沖縄平和祈念堂が見える。バス停名になっていたのは、あの白い塔のことだったのだ。平和の礎の中をまっすぐに貫くメイン通路は、6月23日の「慰霊の日」における日の出の方位に合わせて作られているそうだ。
 まずはその通路を進み、太平洋を眺める。今日の海は青く穏やかで、平和そのものだ。振り返ると、そこは「平和の火」が灯る平和の広場。その向こうには、ふるさと切手の図案にもなった「平和の礎(いしじ)」が広がっている。
 修学旅行生が「平和の火」の前に整列して、セレモニーを始める。ひと通りの挨拶が終わると、何とそこで混声合唱を始めた。いろいろな訪問のしかたがあるものだと、しばらくその光景を眺めていた。
見学学習 平和の礎
平和の礎  上の写真は、自動パノラマ合成をしたもの。右側でちょっと合成ミスがあって、「平和の火」が2本になってしまっている。個人で撮った写真だし、勘弁いただいて雰囲気だけ味わっていただければと思う。
 「平和の礎」は、屏風状の刻銘碑が平和の広場を中心に扇形に並んでいる。ここには、国籍、軍人・民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んでいるという。外国人は、それぞれの母国語で刻まれている。その総数は2007年6月23日現在で、240,609人とのこと。今年も、あと1ヶ月ほどで「慰霊の日」がやってくる。また、この数が増えるのだろう。
 写真や映像で見たことはあっても、実際に立ち並ぶ碑を前にして、そこに書かれた氏名の文字の大きさを見ると、その数がいかに多いのか実感できる。これだけの方が亡くなられた戦争がここであったということを、もう一度しっかり考えるきっかけになった。
16.平和祈念堂入口15:07→15:15ひめゆりの塔前(琉球バス交通)250円 沖縄22き・647 日野
平和祈念堂入口の琉球バス交通 平和祈念堂入口バス停  再び82系統に乗って、先に進んでいく。やってきたのは、先ほどより大きな前後ドアの車両。後輪にカバーが付いているから、大阪市営バスの中古車だろうか。
 行き先方向幕は、今までと同様路線名になっていて、ドア脇の表示板は玉泉洞になったまま。先ほどのバスは、ちゃんと糸満行きになっていたのだが。
 車内の乗客は、ほとんどいない。先客が何人もいて行き先表示がちゃんとしていた前回のバスの方が、例外的なそんざいだったのだろうか。乗ってしまえば、冷房が効いて気持ちよい。
 目指すひめゆりの塔までは3kmほど。バスは国道331号線を走っていく。米須という集落を過ぎると、ひめゆりの塔前バス停まではすぐだった。ここだけは、レストハウスや土産物屋が建ち、広い駐車場にタクシーの客引きと、集落とは別世界だった。
見学学習 ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館(入館料300円)
ひめゆりの塔 ひめゆりの塔の碑  ここも、ひめゆりの塔のある広場への入口に、花売りの売店があった。ここは、とにかく人が多い。駐車場もあり、観光バスが何台も停まっていた。
 まずは、ひめゆりの塔の碑を見学に行く。小さな碑の右側に、伊原第三外科壕として使われた壕の入口がある。ひめゆり学徒隊が配属されたのは、ここだけではなく、今日午前中見学した糸数アブチラガマも、陸軍病院糸数分室として使用されていた時期に配属されていたとのこと。
 資料館は有料で、入場券を買って中に入る。ここは1989年に開館し、2004年にリニューアルされた。それまでの「証言員」が語り伝える方法から、展示を見て読んで歴史を伝える形になった。それだけに、どの展示もじっくり見学しないと、その中身がわからない。「涼しいから、もう5周もしたぜ」といって走り回っているだけの修学旅行生を見ると、ちょっと哀しい気持ちになった。
 資料を読んでいってわかったのは、配属前に生徒たちが想像していた職場と、実際の配属先とのギャップ。勤務の環境と内容が想像以上に厳しかったということのようだ。生徒たちは、赤十字の旗めく建物で、軍医の指導の下、包帯交換などをすると配属前は思っていたようだ。それが、実際の配属先は地下壕の中の病院。手術の手伝いや、切断した手足の処理をするとは思っていなかったようだ。
 そして、ここまで多くの犠牲者が出てしまったのは、解散命令が出てからだという。もちろん、配属中の犠牲者もいたのだが、犠牲者の大半は6月18日「君たちは今日までよく頑張ってくれた。今日からは自らの判断で行動するように」との一言で壕から出されてしまってからなのだと。わずかな乾パンと、自決用の手榴弾を渡された生徒もいたとのこと。
 見るだけでは、いつまでも覚えておくことはできない。出口にあるミュージアムショップで、資料集を買い求める。ひめゆり学徒隊(沖縄高等師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校)が突出して有名だけれども、学徒動員された学校は多数ある。犠牲になった学徒は2005名にのぼるのだとのことだ。
資料館の入場券半券
平和祈念資料館入口
17.ひめゆりの塔前17:24→17:38糸満ロータリー(琉球バス交通)270円 沖縄22き・647 日野
ひめゆりの塔前の琉球バス交通 ひめゆりの塔前バス停  バス停でバスを待っていると、タクシーの運転士が声をかける。那覇まで3000円だから乗っていけと誘う。バスが好きだからと断ると、こちらをにらむ。まあ、それ以上のことはされなかったけれど。
 今日は糸満市街地まで乗っておこう。再び82系統に乗っていく。やってきたのは、先ほど乗ったのと同じ車両だった。ドア脇の行き先板は、今度はちゃんと糸満行きになっている。
 バスの乗客は相変わらず少ない。バスは国道331号線を西に走っていく。琉球ガラス村という施設が建っている波平入口バス停から、左折して一直線の道路を走っていく。ここから南へ行くと、沖縄本島最南端になる荒磯海岸。しかし、道があるのはそこより少し西の喜屋武岬で、明日はそこへ向かう。
 糸満ロータリーは、その名の通り交差点がロータリーになっていた。

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