第3日 〜2006.11.25(土)〜

益田駅前→尾道駅前

12.益田駅前7:00→8:33安芸太田町役場前(石見交通)2250円 島根200か・・60 三菱
益田駅の石見交通 休憩中の石見交通  昨日乗った広島〜益田の特急バスは広益線。今日乗るのは、新広益線という別路線だ。こちらは1日2本、石見交通と広島電鉄が1往復ずつ運行している。ただし、広島電鉄担当便は積雪時は広島県内で折り返してしまうという。
 益田駅前7:00の便は、石見交通の担当。行き先表示には「R191広島駅」と表示されている。乗客は思っていたより多く、すでに10人以上が駅前から乗車した。新広益線は広益線よりも所要時間が短いこともあるのだろう。
 美都温泉入口を過ぎると、国道は改修前のカーブが多い道になる。やがて、道の駅匹見峡に設置された出合原バス停で5分間の休憩になる。朝食がまだなので、売店へ行ってみるとパンやオニギリはなし。作りたてだという、餡入りの餅を買うしかなかった。けっこうおいしかったけれど、朝から甘い物を大量には食べられない。
 島根・広島県境を越えてすぐに八幡原バス停がある。ここから2人乗ってくる。広島県といっても、やってくるバスはこの特急バスしかないようだ。長い下り坂の連続で、ようやく開けてきたかと思ったところが、戸河内の集落だった。
道の駅で途中休憩
安芸太田役場前バス停:旧可部線戸河内駅跡
戸河内駅跡 安芸太田役場前バス停  旧戸河内役場前の安芸太田町役場前バス停で、特急バスを降りる。この先戸河内インターから高速経由になってしまうので、一般道経由のバスに乗り換えるのだ。バス停のポールは、戸河内役場の上から安芸太田町役場と貼り付けてあった。
 待合室は立派な建物。男女別の公衆トイレも設置されている。その後ろは、広い空き地になっている。その空き地の先は、右も左も砂利敷きになって、細長く延びている。どう見ても、これは線路跡。この広場は駅跡だ。待合室に戻り地図を確認すると、間違いなくここは元戸河内駅のあった場所だ。
 廃止から3年経って、駅はすっかり取り払われて広場になり、レールもすっかり撤去されて、砂利敷きの細長い空き地だけが鉄道だったことを語っているようだった。
 待ち時間は1時間ある。待合室前にある、売上利益の一部がサンフレッチェに寄付されるという紫色の自動販売機で、暖かいコーヒーを買ってバスを待った。
戸河内駅跡
13.安芸太田町役場前9:41→11:03可部上市(広島電鉄)900円 広島22く32−30 日野
安芸太田役場前の広島電鉄 廃線ともみじ  三段峡と広島バスセンターを結ぶ、可部線代替の路線バス。全区間乗り通すと2時間かかるのだが、やってきたのは普通の路線車。この座席で2時間は、ちょっときついかもしれない。前中ドアのバスだが、窓は横引きのメトロ窓。自分の地元では路線バスといえば、2段サッシ窓ばかりだから、ちょっと高級に見える。
 バスの車窓からは、廃止になった可部線を、何度となく見ることが出来た。バスも廃止代替路線なので、国道を走り通すのではなく、廃止になった駅前に寄っていく。そのため、国道を離れて細道を行ったりするところが、何度かあった。
 廃止からすでに数年経っているのだが、レールが敷設されたままのところが多かった。廃線跡といっても、レールがあるか路盤だけになっているかでは、ずいぶん雰囲気が違う。かつては可部線の車窓から見えたであろう、色づいたモミジが廃線脇に見える。鉄橋もまだ撤去されることなく、太田川に架かっていた。
 鉄道時代の駅より停留所は増えているから、その点では利用がしやすくなったとは思うが、カーブが続く国道を一般型の路線バスで長時間走るのは、乗り心地の点では鉄道には勝てないだろうと思う。
 安佐出張所からは、旧可部線の経路から外れて国道191号線を飯室経由で可部へ向かう。この間の廃止代替バスは、飯室から県道267号線経由の別系統が運行されているという。
 このバスは広島バスセンター行き。広島駅まで行きたいので、可部市街地の中心らしい可部上市で、広島駅まで行く広島交通のバスに乗り換えることにした。
廃線の鉄橋
14.可部上市11:05→12:05広島駅(広島交通)440円 広島22く33−18 日デ/富士重工
可部上市の広島交通  可部上市は、商店が建ち並ぶ街角にあるバス停だった。広島のバスは、広電バス(広島電鉄)、広島バス、広交バス(広島交通)と似た名前の会社があり、よそ者にはちょっとわかりにくい。今度乗るのは、オレンジとクリーム色の広交バスで、バスはすぐにやってきた。
 ここから乗る人はかなりいた。車内は、左右2席並びの座席が多い。ここからのバスは本数も多いから、とにかくたくさんの人を座ってもらって運ぼうということなのだろうか。広島はバスと路面電車の発達した街。ローカルバスでも座ってもらおうというサービスなのだろうか。
 バスは太田川を渡ると国道と別れ、可部線沿いの道を行く。線路沿いでも、駅より細かく停留所があるから乗客が待っている。緑井のフジグランの先から国道に戻る。
 やがて横川駅前に出る。ちょうど駅前では、復元された最古の国産乗合バスが、展示ケースから出てくるところだった。後で調べると、第2・4土曜日が復元バスの屋外展示日だそうで、今日は第4土曜日。そうとわかっていれば、下車して見学する予定を立てたのだが。
 市電の走る通りを行き、十日市町で左折して相生橋を渡る。右側に原爆ドームが見える。紙屋町、八丁堀と広島の繁華街を走り、左折して駅前大通を走って広島駅降車場に到着した。
15.広島駅12:15→13:42西条駅(芸陽バス)930円 広島22く42−61 日野
広島駅の芸陽バス 芸陽バスの車内  朝食があん餅で終わってしまったので、広島駅で何か買って昼食にしようと思っていた。しかしながら、可部からのバスも遅れてしまい、乗り継ぎ時間がわずかになってしまった。空腹のまま行くしかなさそうだ。
 広島から西条へ向かう路線は、芸陽バスが運行している。両端の広島駅〜中野東七丁目と八本松駅〜西条駅は多いのだが、中間の中野東七丁目〜八本松を運行する便が少ない。土休日に広島駅〜西条駅を直通する便はわずか3本、途中乗り継ぎを含めても7本しかない。直通便としては、この12時のバスが初便なのだ。
 乗り込んだバスの車内は、花柄のビニール枕カバーがついた、2人掛けハイバックシートがズラッと並んでいる。この花柄カバーを見て、なんとも懐かしさをおぼえてしまった。
 数人いた乗客も、それほどしないうちに皆降りてしまい、すぐに車内は自分だけになってしまった。瀬野駅前で時間調整の停車。ようやく発車しても、停留所に待ち人はおらず、流れに乗ってバスは走っていく。反対車線は渋滞しているものの、こちらは順調だ。
 八本松駅では、元々5分停車のダイヤになっている。発車時刻まで、運転士さんもトイレ休憩の模様。こちらも、いったん車外に出て、バスの写真を撮ったりする。やはり、運転本数の少ない区間は乗客も少ないのだ。
 八本松を発車しても、しばらく乗客は自分だけ。それでも比較的本数の多いこの区間は、西条駅が近づくにつれてようやく停留所に待ち人が現れだした。広島駅から約1時間半かかって、ほぼ定刻に西条駅前に到着した。
休憩する芸陽バス
16.西条駅13:57→14:56竹原駅(芸陽バス)1040円 福山22く・910 日野
西条駅の芸陽バス 西条駅バス停  西条駅での乗り継ぎ時間に、コンビニでオニギリと肉まんを買って、バス停のベンチでようやく昼食にすることが出来た。ベンチでオニギリとは、何ともわびしい昼食だが、路線バス乗り継ぎではよくあることだ。
 ここからは、瀬戸内海沿いの安芸津を経由して竹原駅まで行くバスに乗っていく。やって来たバスは、あとでわかったことだが、トミーテックのザ・バスコレクションから芸陽バスの事業者限定セットとして発売された車両のモデルになったバスではないか。
 帰宅して、そのバスコレクションと比べてみると、登録番号は同じだが、ナンバープレートの位置やHINOのマークの有無など、モデル化当時とは多少変化があったようだ。かつて、ナンバープレートが取り付けてあったであろう位置に、しっかりネジの跡が残っていたから、モデル化する時はたしかにあの位置に付いていたのだろう。
 バスは新幹線の東広島駅を経由して、そこから一路、瀬戸内海の安芸津を目指す。このバスもまた、途中のショッピングセンターからは、乗客は自分だけになってしまった。東広島駅からは、多少登ったけれども、それ以上に長い下り坂を走っていく。西条って、そんなに標高が高かったのかとあらためて実感してしまった。
 その下り坂の途中で、ようやく1人乗ってくる。その乗客も、安芸津駅で降りてしまい、またしても自分だけになってしまった。安芸津ではいったん港に寄り道してから、今度はほぼ呉線に沿って竹原を目指す。
 山あり海ありの、乗っていてけっこう楽しい路線だった。西条を出発してほぼ1時間で、ようやく竹原駅前に到着した。
バスコレとモデルの実車
見学:竹原の町並み保存地区(映画「時をかける少女」の面影をもとめて)
醤油屋さん 瓦が落ちたお堂  駅はその昔、塩田だったところを埋め立てたところにある。ここから1kmほど離れたところに、歴史的町並みが保存されている。次のバスまで1時間あるので、駅のコインロッカーに荷物を預けて、急ぎ足で回ってこよう。
 今はもうないが、尾道の山の上に「ユースホステル尾道友愛山荘」というのがあった。ここに「転校生レポート」「時かけレポート」なる2冊のノートがあり、大林宣彦監督の「転校生」「時をかける少女」のロケ地に関する記録がびっしりと書かれていた(歳がバレるな)。それを見て、「時をかける少女」のロケの半分は、尾道ではなく竹原で行われたことを、当時知ったのだ。
 大学生の一人旅、時間はあったので予定を変更して、翌日は竹原の街を散策したのだった。あれからウン十年ぶりの竹原。あのロケ地はどうなっているだろうか。
 記憶を頼りに歩いていく。堀川ゴロちゃんの家だった醤油屋は今も健在。その前の小径を西方寺に向かって歩き、振り返ったところが、映画の場面で何度も登場したところ。たしか、火事になった場面では、夜この階段を原田知世が下りていったのではなかったっけ。その西方寺の善明閣まで上がってみると、モミジが1本だけ色づいていた。
 戻ってさらに先に進むと、原田知世が通りかかったとき、突然瓦が降ってきたお堂「胡堂(えびすどう)」がある。
 建物は、あの当時とほとんど変わっていないように感じられた。でも街の印象は違っていた。それは、この通りが立派な観光遺産になって、道路がタイル敷きになっていたこと。案内標識が行き届いていたことだろう。ただし、映画のロケ地に関する情報は、まったくどこにも見つけることは出来なかった。もはや、映画とは関係なしに街並みだけで観光客が来るのだろう。
 最後は時間があやしくなってしまい、小走りに駅に戻ることになった。
もみじ
17.竹原駅15:54→16:46三原駅(芸陽バス)1000円 福山200か・133 日野
竹原駅の芸陽バス  竹原からのバスも、またバスコレバスの仲間。同型の登録ナンバー違いがモデル化されていて、このバスの登録ナンバーが、貼り替え用シールで同梱されていた。
 竹原から三原へ行くバスはすべて芸陽バスだが、途中の久津からは三原市営バスも共通運行されている。バスは竹原港からやって来たのだが、乗客なし。駅前から乗ったのも、自分だけだった。
 この路線も、ほぼ呉線に沿って三原を目指す。大久野島への航路がある忠海を通る。鉄道よりも港に近いところにバス停があるものの、乗ってくる人はいなかった。忠海の先で竹原市から三原市に入り、久津を過ぎる。
 しばらく行くと、小学校の前で5人ほど小学生が乗ってきた。土曜日に何かあったのだろうか。小学生だから、それほど通学距離もなく、いくつか先のバス停で降りていってしまった。
 大半の区間で、右手に瀬戸内海を眺めながら走っていくので、次々と島が見える。景色は見ていて飽きることはない。途中で山側の高台にある須波ハイツに寄り道する。ここからは乗ってくる人もいて、ようやく車内に人が増えてきた。
18.三原駅18:16→18:39登山口(三原市交通局)390円 福山22く12−14 三菱
三原駅の三原市営バス  本当は、今日は三原で終わりにしたかった。けれども、明日の初便で尾道駅に向かっても、数分の差で予定のバスに間に合わないことがわかった(平日なら間に合うんだけど)。そこで、暗くなって景色が楽しめないことを承知で、尾道駅前まで行くことにした。この区間は、本土縦断路線バスの旅でも乗っていく区間だから、暗くてもよしとしよう。
 本土縦断の頃(2002年)は、三原市営バスと中国バスの共同運行だったのだが、今は三原市営バスと鞆鉄道の共同運行に変わっていた。前回乗ったのは中国バスで、今回乗るのは三原市営バスの担当便だ。
 バスの行き先は「福地(登山口)」と終点のバス停名より、その地区名が大きく書かれていた。駅前からの乗車は3名。その後乗ってくる人はいなかった。
 意外だったのは、お客さんたちがなかなか降りないこと。糸崎駅前を過ぎても誰も降りない。もしかして、みんな尾道市営バスの乗り継ぐのかと考えたが、やはりそんなことはなかった。糸崎〜尾道は鉄道でも9.1kmも離れている。その間の停留所で、他のお客さんは降りていった。ひと駅、糸崎まで電車に乗って、またバスに乗り換えるよりも安くて便利なのだろう。
19.登山口18:47→19:00尾道駅前(尾道市交通局)120円(乗継割引) 福山22く12−55 日デ/富士重工
登山口の尾道市営バス  これが、今日の三原側からの最終接続バス。三原市営バスを降りるときに、尾道市営バスへの乗り継ぎ券をもらっておいた。これがあると、尾道市営バスが割引料金になる。
 尾道→三原方面も接続するのかと思っていたのだが、先ほどのバスは尾道市営バスの到着を待たずに折り返していってしまった。小雨が降り出した中、ようやく尾道市営バスがやってきた。まったく明かりがない折り返し場で、写真を撮ったがバスの明かりしか写らない。
 こんな時間だから、尾道駅まで貸切かと思ったら、これがまたハズレ。今度のバスは、駅に向かってけっこう待ち人がいるのだ。停留所ごとに1人、2人と乗って来るではないか。けっきょく、駅に着く頃には車内のお客さんも10人ほどになっていた。
 そして、もっと予想外だったのは、駅前で降りたのは自分だけだったこと。バスが進む市街地で降りるのだろう。鉄道ではなく、バスを生活の足として利用している人が多いから、夜でもそこそこの本数を走らせているのだということがわかった。

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